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<<   作成日時 : 2008/03/10 17:52   >>

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2月24日から3月1日までの7日間、九条ピースウォークというイベントで広島平和公園から福山市までを歩いた。1日で25キロ歩いた日もあった。参加する前はそんな距離歩けるか心配だったけど、意外に平気だった。

とにかくいろんなことがありすぎて、どこから話そうか。

2月24日、広島市の原爆ドームを初めて見た。ビルの立ち並ぶ中、原爆ドームが非現実的な存在に見えた。でも、それは60年前には現実だったし、イラクや戦場では今でも原爆ドームのようにボロボロの建物がある。日本の物質的豊かな生活にどっぷりつかっていると、そのことに気付きもしないし、関心もない。原爆ドームが、まだ世界中で戦争は終わってないことを思い起こさせる。

2月25日に呉市の海上自衛隊基地で初めて潜水艦を見る。ものものしく、不気味な感じがした。呉は戦時中、戦艦大和が造船された場所である。大和は、今のお金で約ニ兆円をかけて作られたが、撃沈されて三千人もの犠牲者を出した。最近、呉では大和ブームがおきているらしい。至る場所で大和のポスターや看板を見かけた。富国強兵のような昔の軍国主義が盛り上がる前兆のような気がしてならない。

2月28日、大久野島へ行った。戦時中、毒ガスが生産された島。当時、毒ガスの使用は国際条約で禁止されていたため、政府は極秘に毒ガスを製造していた。極秘を守るため、戦時中に大久野島は日本地図から消されてしまった。大久野島で製造された毒ガスは第二次大戦時に中国で使用された。中国で多数の犠牲者を出したことは言うまでもないが、毒ガス工場で働いた国民にも多くの被害をもたらした。大久野島には今も毒性の弱い毒ガスが埋まっており、周りの海水はひ素で汚染されている。毒性の強い毒ガスは大戦後に四国沖に沈められた。地震などがあった場合、毒が海中に漏れる恐れもあるらしい。戦争が終わって60年経つが未だに3000人の日本国民が毒ガスの後遺症で苦しんでいる。毒ガスは国際条約違反だったため、彼らは自分の健康被害を口外することを国から強く禁止された。現在、国からわずかな援助をもらっているが、十分とは言えない保障である。しかし彼らは、国からのわずかな援助が打ち切られるのを恐れて、国に公に被害を訴えられない。

原爆の話は歴史の授業でも習い、知識もあったが、大久野島の問題は聞いたこともなかった。当時の写真や資料を見て、言葉を失った。

大久野島の毒ガス問題が、六ヶ所村の再処理工場の問題にかぶって見えた。お金によって、反対する声は揉み消されてしまう。マスコミでも報道されず、多くの国民は事実をしらされていない。とても自然の美しい田舎に危険な施設を作る。政府は地域住民、従業員の健康など考えていない。そして、極めて危険な施設は後世にとって莫大な負の遺産となる。

温故知新。古いことを知ることで、新しいものが見えてくる。そんなことを実感するウォークだった。

一枚目の写真は雪の原爆ドーム。ウォーク初日は雪でした。寒かったー。
二枚目の写真は呉の潜水艦。
三枚目の写真は綺麗な大久野島の海。でもこの島の水はひ素に汚染されてるから飲めません。ワカメも食べられないのよー。

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コメント(1件)

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先の記事にTBさせて頂いたTake、です。
広島のウォークお疲れ様でした。
ちょうど今回お歩きになったコースは、10余年前に教会有志で社会見学に行ったコースと逆周りだったので、興味深く読ませていただきました。
大久野島は戦中は日本地図から抹殺した島であり、戦後もその内容から沈黙を続けていた島なんですよね。
仰るとおりに、野宿の仲間(いわゆるホームレスと呼ばれている人たち)のところに、手配師が原発関係の仕事を持ってきます。家族がいない、社会的にも支援する人が少ない仲間は、そうしたところで被曝を受けてもなんら保証がないのは、まさに女工哀史の時代からつながる使い捨ての上に存在する日本の発展なのでしょう。
春の風と共にPeaceWalkも東に進んでいます。平和のチェーンの一つとなって幕張につなげたいです。
Take
2008/03/12 09:41

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